Sunday, January 06, 2008

Win or Lose

随分長い間更新を怠っていたらいつの間にか年が替わって2008年を迎えた。

特に今年が何か特別な節目となるでもなく、また待ち焦がれている出来事があるわけでもない。
人生(このような大袈裟な言葉はあまり好まないがここでは敢えてこの2文字を用いる)のとある通過点。かなりまとまった時間なのだから「点」というには相応しくないのかもしれないが、ここ数年を振り返っても、1年1年がまさに「点」の如くあっという間に過ぎ去っていく様を体感しているのである。

さて、そんな1年をどう過ごそうかと考えてみる。
初詣でひいたおみくじに再度目をやると、なかなか良い事が書いてある。

中吉  「順調な運勢・・・自己に有利に・・・すべてに追い風が・・・。無理なく自然体で過ごすことが更に幸運をもたらします。」

そう、新年だからといって殊更に目標や抱負を謳うのではなく、流れに身をまかせてみるのも大事である。ただ折角の時間を無駄にしないように心掛けよう。丁度読んでおきたい本が幾つかある。

Monday, September 17, 2007

海


この夏は海へ毎週のように行っている。

暑さという言葉では到底表現しきれない、じっとりとした重い空気が体を覆っているせいか、どうにも山へは足が進まない。

もちろん海に行っても暑いことに変わりはないのであるが、海には風がある。夕暮れ時になると、山から下りてきた風が心地よい。空は広く、色は1秒も同じでなく、まさに刻一刻と変化し続ける。打ち寄せる波も一つとして同じものがない。

遠くには漁火がポツリ、ポツリと街頭のように輝きはじめる。

Monday, July 30, 2007

感謝




ありがとうと言うのは簡単なこと。

ありがとうの気持ちを伝えるのも簡単なこと。

ココロから素直に感謝したい時に、

ありがとう

その一言を相手に向けるだけ。

そんな簡単なことが、

なぜかできない。

Friday, June 15, 2007

あと一歩

あと一歩。

そしてもうあと一歩、

前に出ることが大切なのかなぁ。

でも、

ずっと向こうにある光ばかりを見ても、

足元は真っ暗なんだなぁ。

Thursday, May 31, 2007

月が替わりました

あっという間の1ヶ月、

それだけ充実しているということだろうか。

そんな5月の終わりの日に笑いがひとつ。

真っ白な笑顔と、

澄み切ったその声で、

ぱっと周りを明るくする。

彼女の名前はコノハちゃん。

ありがとう。

また明日から頑張れそうです。

そろそろ腰を落ち着けて、机に向かいます。

Thursday, May 24, 2007

それ

遠いところにある、それ

もうちょっとで手が届きそうで、

でもなかなか指先がかする事さえない


目のまえにある、それ

色も形もわかるのに、

いったい何だろうか


きみの手元にある、それ

大事そうにかかえて、

きみはそれを離さない


あれでもなくて、

これでもない、それ

僕の頭から離れない

Tuesday, May 15, 2007

時間の大切さ

最近どうも時間の使い方がうまくない。

無駄にしているという感もないのだが、
もっとじょうずに使えるはずなのだ。

しなければならないこと

したいこと

今できること

まずはそのどれもに当てはまることからか。

整理するために、
海に行ってみた。

黄砂で霞む向こう側に、
積み上げられたコンテナのモザイクがうかんでいた。

Tuesday, May 08, 2007

できること

たとえばあるとき、突然ふらと出かけたくなる

友人に話を持ちかけると、あっさり承諾

日時を決めて、車を走らせる

今回は久々の本州、行き先はまだ未知の地、山陰。
とりあえずの目的は出雲大社

ほんとうは行きたいコーヒー屋さんがあったのだけれど、
残念ながら火曜日はお休みとの事

地味にまとめられた境内は上品で、
加えて歴史の重みというか、
ココロに何かどしっとくる

大田市に残る石見銀山跡
周辺の古い町並みは、
陽に照らされた新緑に映える

立派な門構えの家々、
こども達は寺に集まって輪を作る

ところどころに、
オブジェがおかれ、
古い民家を利用したカフェからは
ジャズが流れる

でもそのどれもが、不思議に調和して、
一つの集落を形作る

長くのびる一本道は
緑に光る山と深い青の海とを、
つぎはぎのフィルムのように
見せてくれる

角島で夕陽を見たい・・・

太陽が重力に引っ張られて、
その落ちる速さを増すごとに、
僕らもアクセルに力が入る

深い山を右に左に

ぱっと視界が開けると、
黄金色に輝く日本海が目の前に広がる

まっすぐにのびる真っ白な橋
でもそれは太陽になぞられてスペクトルをたどる

そんな橋の上から見た夕陽は
今まで見たどれよりも大きく、美しかった

Monday, April 30, 2007

Fukuoka



帰福してあっという間の1週間だった。

街を歩くと、あちこちで

「おかえり」

と声をかけてもらう。

帰るところがあるっていうのは

本当に幸せなことだと思う。



写真:近所の藤棚には立派な花が垂がってました。

Tuesday, April 10, 2007

Innateness

久しぶりに遊んでみました。

Friday, April 06, 2007

KIKUJIRO

北野武監督の「菊次郎の夏」(1999)を久々に観ました。

彼の作品で、僕が一番好きなのは「Dolls」なんですが、

何か通じるものがあります。

しかし久石嬢は本当にすごい。

Thursday, April 05, 2007

Sin Country

なんとか犯罪学のレポートを仕上げた。

理論と実際の刑事制度がどう結びついているのかを
分析する内容のものだったが、
あえて古典的な犯罪論を選んでみた。

18世紀後半、ベッカリアとベンサムまで遡る。
当時はまだ個人主義的な制度でしかなかったが、
それでも彼らの唱えた刑罰の合理性は、
200年以上経った現在の刑事裁判制度にも
強く反映されている。

・・・とまぁややこしい内容はいいとして。

次のレポート。

東洋と西洋の美術を比較。

これ一応言語学のレポートなんだけどね。
ちなみに比較の対象は

狩野山雪 「老梅図」
   と
Corot 「Diana and Actaeon」

どちらもニューヨーク、メトロポリタン美術館所蔵

どうなることやら。。。

Wednesday, April 04, 2007

Coherence


学期末のためか、
最近レポートに追われている。

毎度のことであるが、
語彙の少なさに悩まされる。

微妙な表現の違いだったり、
曖昧さを避けようとするが、

頭の中にあることを
そのまま紙の上に吐き出すことができない。

どうも首尾一貫性がなく、
論点が途中でずれている。

なんとも幼稚な文章で、
他人様に読んで頂くには到底及ばない。

言語の違いのせいにしたいが、
これは今まで自分がサボってきたツケだろう。

せめて日本語では・・・
水村美苗さんの文章が懐かしい。

Monday, April 02, 2007

3 weeks to go

陽の光で目を覚ますことの幸せ。

でも何かがちょっと違っている。

そろそろ

ラストスパートですか。

あと三週間後に待っている空を

時々見上げる、

そんな余裕は残して。

Sunday, April 01, 2007

Frangrance Azul


4月はなにかと新しい季節

昨日雨が降ったせいか、

今朝は濃い霧に包まれていた。

しっとりとした空気を

すぅっと

おなか一杯に吸い込む。

しばらくすると

明るい光が差し込んで

窓辺のグラスを映し出す。

水分をたっぷり含んだ草木は

太陽の光に照らされて

一気に青々と輝き

それが空の深みを増す。

新しい季節

ちょっとうれしくなって

いつもと違う道を歩いてみたり


*写真は昨年の4月、中央公園にて

Wednesday, March 28, 2007

Personal Space

僕は他人と距離を取るのが下手である。

自分の物差しをいつもあてはめるもんだから、

つい相手の入って欲しくない領域にも

ずかずかっと入り込んで、汚している。

そのくせ

他人が自分のPersonal Space(以下PS)に入ってくると、

なんとも気持ちが落ち着かない。

こんなわがまま通せるのも、

ほんとに友達のおかげだと思う。

みんな笑ってくれている。

さて、難しいことはやめて、

物理的な距離ってことでのPSについて

少し考えてみたい。

僕は人が好きで、

よく友達とカフェに座っては、実のない話に

花を咲かせている。

でも物理的にある一線を越えて相手が近づくと、

急に身体が固まって、

話も聞こえないし、

いわゆる挙動不審ってやつに陥る。

例えば横に並んで歩きながら話しているとき、

ふと相手の方に顔をむけて、

思ったよりも近くに、目の前に相手がいたらもう駄目だ。

まっすぐ歩くことはもはや出来ずに、

適度なPSを保ちながら歩くことばかりを考えてしまう。

結果、よく歩道から出てしまったり、

相手の反対側に回ってみたり、後ろを歩いたり、

もう平静を保てない。

全くの他人ならばある程度の距離は

誰にも必要だろう。

良い例はエレベータだろうか。

エレベータに乗る時に、もし先に誰かがのっていたら?

ほとんどの人が先に乗っている人の

対角に立つのではないだろうか。

僕は旅行が好きだし、

飛行機が大好きだ。

でも、すぐ隣に知らない人が座るあの空間、

どうも緊張しっぱなしで、眠れたためしがない。

カフェでテーブル越しに、カウンター越しに話す。

それくらいがちょうどいい。

Friday, March 23, 2007

Moral


モラルは社会によって作られる。

それは一定の形を留めることはないし、

ユニバーサルにもなりえない。

このプラトニックな問いを

様々なスケールで用いることは

ほんとに難しい。

日本人としてのアイデンティティと

外国人としてのフレキシビリティ。

国際人として

何が求められるのか、

グーグルじゃわからない事がたくさんある。

Thursday, March 22, 2007

デザインが語るもの

 2.デザインとアート
このようにオーナメントはそれを所持する者の権力や地位といった抽象的な概念をビジュアル化したもので、具体的な形にはなりえない。そしてそれを見る者の解釈によって、双方の関係を決定するのである。一対多数の関係において、オーナメントの持つ役割は大きい。アートは視覚的な表現の解釈という点においてはオーナメントとあまり違わないようだが、アーティストがコミュニケーションの主体となっている点においてはその役割を全く異にする。つまりアートはアーティストのアイデンティティーや思想をビジュアル化したものであって、所持者のステータスを象徴するものではない。そしてもう一つ重要な点は、オーナメントはデザインの上にのみ存在するのに対し、アートは必ずしもデザインを必要としないことである。アートはコミュニケーションの主体であるが、それは必ずしも一対多数の関係を必要とするものでないし、社会的な役割を持つ必要もない。そのためデザインの持つ実用性と独立して存在するのである。あくまでも視覚的な表現であるため、アートはデザインの上に存在することももちろん可能だし、それを包括することもできる。こうしてアートというコミュニケーションの手段を手に入れることで、人類の視覚文化は飛躍的に豊かになった。今「文化」という言葉を用いたが、このことはパラドキシカルな要素を持つ。文化=カルチャーは個人において存在することはなく、常に社会によって形成される。つまりアートはその存在する社会を反映した一方的な視覚表現文化ということができ、多くの場合社会的、政治的なイデオロギーを持つ。そして資本主義社会が形成される過程において、アートの持つイデオロギーは、デザインの持つ実用性との関わりをより深めていくのである。

Sunday, March 18, 2007

Visible Sound

音を観る

ちょっとおかしく聴こえるかもしれない。

僕もつい先日まで、音は聴くものだとばかり思っていた。
もちろんそれは間違っていないが、それだけでもないのだ。

友人の卒業前のリサイタルに呼ばれた。
彼女が演奏するのはパーカッション。
僕は音楽には疎いのだが、マリンバとヴィブラフォンだったと思う。

会場が小さいということもあって、
彼女とかなり近距離に座る。

僕は普段コンサートでは、
安い学生席に座るのだが、
とりあえず音が聴こえれば一緒だろう、と満足していた。
時には目を閉じて、耳に音を集中させる。

どうやら今回は様子が違いそうだ。

ステージに彼女が現れる。
黒のパンツに黒のシャツ、
いつも降ろした髪をきゅっと上で束ねている。
これから演奏するというよりは、舞台の黒子のよう。
しんと静まり返った空気
彼女は一言も発さず、
深々と頭を下げると、
4つのマレットを手にする。

マリンバの前に立つと、
大きく深呼吸し、
ゆっくりとマレットで空気をなぞる。

その時から、彼女とマリンバとの間で対話が始まっていた。

僕の身体が緊張で震える

彼女はマリンバに向かって強くうなずくと、
勢いよく息を吸い、
マレットを大きく振りかざす。

会場の緊張はピークに達する。

しかし彼女はその手をゆっくりと降ろし、
そっと、マリンバの上を滑らせる。
一つ一つの音が彼女と、そして会場の空気と共鳴する。

僕は彼女から目が離せず、
マリンバの音を聴くよりもむしろ
彼女とマリンバとの間の会話、
いや、むしろフィジカルなコミュニケーションを、
視覚的にとらえる。

僕の頭には
なぜか歌舞伎が浮かび、
目の前の光景は
超音楽的な、
今まで感じたことのない世界であった。

共鳴がやむと
彼女はまた深々と頭をさげて
闇に去っていく。
いつのまにか僕の手は
汗がにじんでいた

Friday, March 16, 2007

Gordon-San

昨日ベアテ・シロタ・ゴードンさん(Beate Sirota Gordon)のお話を
聞かせて頂いた。彼女の経験はいくつか本にもなって出版されているし、
どうやら映画かもされたようなので、名前を聞いたことがある人も多いのではないだろうか。

簡単に言えば、
その日本語能力をかわれて戦後GHQの元、
若干22歳にして憲法草案の作成に携わった女性。

女性の地位の確保に尽力し、
その功績は、日本国憲法第14条、24条に集約されている。
ちなみにここで、その評価を行うつもりはない。

幸運にも最前列の席
僕の目の前に姿を現したその女性は、
一通りの紹介が済むと、
ざっと室内を見回した後、
ゆっくりとその小さな口から言葉を紡ぎ出す。

83歳という年齢とは思えない。
凛としていて、
外から見ても、芯がしっかりとした女性だと分かる。

内容に関しては、
本に書かれている以上のことはないが、
やはり本人を目の前にすると、
迫力がちがう。

講演の後、
少しだけお話をする機会を頂いた。
といっても、帰り際の彼女を捕まえて。
ほんの立ち話程度。

今の僕と同じ年齢で、
日本の憲法草案に関わった女性。
彼女の前に立った途端に
何もかもが恥ずかしくなってしまった。

そんな僕を、
ベアテさんは笑顔で、
「がんばってね」
そう言って帰っていかれました。
何か大きなものを得た、そんな気がします。