Friday, December 29, 2006
Endo
今年も残すところあと1日となった。
年の締めくくるに相応しい話題を考えていた。
現代社会におけるダーウィニズムについて・・・
いやいや、もう頭を使うのは来年までとっておこう。
9月に始まったsLowですが、
まとまりのない駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
精進に努めますので、来年もまたよろしくお願いします。
2007年がお互いにとって良い1年でありますよう。
管理人
Tuesday, December 26, 2006
so now, it is over...
こんなフレーズ、あちこちで耳にしますが、
クリスマスもいつの間にか終わってしまいましたね。
僕の住んでいるアパートも
ますます人気がなくなって、天気もどんよりと曇っているせいか、
どうも気持ちが晴れません。
気分転換にと、よく利用するカフェまでやってきました。
ここもいつもなら学生でいっぱいなのですが、
今日はなにやらがらんとしています。
隣のソファに座っているおばあさんが
読書の合間にうとうとしているのが可愛かったりします。
冬休みはなかなか短いので、
これを機に今まで読めなかった本を片っ端から読んでいます。
日本語の活字も久々に読みました。
気持ち良いくらいにスラスラ読める。うれしいことです。
今日は折角時間があるので、
僕自身の事について少し書こうかなと思います。
長所っていうのは気恥ずかしいので、
ここでは短所についてのみ言及しておきます。
僕は昔から文章を書くのが苦手です。
特に手紙なんかは大嫌いで、筆不精さ加減に人はよく呆れています。
書いているうちに、やっぱりあれも書いておけばよかった、
これは失礼かなと考えて、また新しいのを書き始めるんですね。
そうすると時間ばっかり経ってしまう。
素直に思ったことを文章にできればいいのですが、
語彙力のなさでしょうか、
どうもうまくいかない。
加えて面倒くさがりがたたるとどうしようもないのです。
じつは9月にとても仲良くして頂いている方から
がんばれと励ましの手紙をもらったんですね。
それがとてもうれしかったことと、失礼はしちゃあいかんということで、
1週間もしないうちに返事を書き上げたんです。
ついでだからと昔馴染みの友人にも手紙を書いて一緒に出そうと思って、
紙とペンを用意したはいいが、何を書こうか定まらない。
そうこうしているうちになんとか1枚、2枚と書いたのですが、
今度はなんだか物足りない。やはりポストカードの1枚でも
入れるべきかと考えていると、学校の方がどうも忙しくなってしまったんですね。
そのまま鞄に2つの手紙を忍ばせたまま
時間が経ったわけです。
今度は手紙の内容が、時季とどうしても合わない。
それから書き足したりすると今度は封をするのに糊がない。
どうしてそこで面倒さを覚えるのか自分でも不思議なんです。
結局ポストカードにクリスマスカードを加えて、
そこに新年の挨拶を書いてようやく出したわけですが・・・
こんな自分が情けない。
もうひとつ、
これは短所というか、フィジカルなことなんですが、
昔からどうしようもなく身体が硬いんです。
思い切り曲げてみても、U字は程遠く、どうがんばっても「へ」の字にしか見えない。
身体が硬いから何をやってもすぐあちこちで悲鳴があがるんです。
夜には肩とか背中とかが凝って、
寝たら治るのかというとそうでもない。
親に言わせれば、それは頭が固いからだよと。
確かにそうかもしれない。
祖父母譲りの頑固さは小さい頃から
自覚していたものです。
もう少し、柔軟な考え方ってのを身に付けないと
他人に迷惑ばっかりかけてますね。
そんなことを考えた、
午後のティータイムでした。
Tuesday, December 19, 2006
eMo
Thursday, December 14, 2006
Lingo
世の中何が正しくて、何が間違ってるのか、
それはずっと後になってわかることなのかもしれない。
人が何かを判断する時、または選択をする時、
個人の持つ情報を最大限に生かして、
しかしその範囲において、
最も有益な結論を導こうとする。
情報というものが
蓄積される時、
それは二元的に処理されることが多い。
それはサイエンスの世界であって、
アートやリトラチャーの世界ではない。
そのためか、
情報が白なのか黒なのか、
良いのか悪いのか、
どちらかはっきりしないと
どうも気が済まない。
そこにはグレーは存在せず、
△もタブーなのだ。
こうして、
情報は対極にある箱の中にどんどんと
詰め込まれてゆき、
そして、曖昧な情報が入ってくるたびに、
ありったけの情報を箱から
引っ張り出して、
比較という方法によって、
どちらかの極に振り分けられる。
比較という手段、
これは様々な分野において応用されている。
しかし、この比較がされた結果
情報が間違った極に振り分けられることも
日常にある。
また、どちらにも属すもの、
どちらにも属さないものの扱いについては
とりあえず、条件付きでどちらかに
振り分けられる。(そうせねばならない)
これはまた次の機会に続く
イントロということで。
どうも寝不足がたたって
頭の回転がいつも以上に遅いようです。
本当は友達について書こう
と思っていたのだけれど、
手がいつのまにかこうしてタイプ
してたもので。
二元論、ということでいうなら、
駄文も駄文、悪の典型ですな。
失敬
Saturday, December 09, 2006
Tuesday, December 05, 2006
Things to Give Up
アメリカにおける移民の数は年々増加の一途を辿っているわけだが、
それに伴いアメリカ語も驚くほど変化している。
その変化はどこか、種の盛衰と近いものがあるような気がする。
口語としての単語の数は減少傾向にある。
その分、使われる頻度の多い単語の用途が広がっている。
図にすると、ちょうどピラミッドのような形で、
上位にある抽象的な単語が下位にあるより具体的な単語を飲み込んで、その裾を広げているのである。
例えばmanageという単語。
本来の意味はtake care 等に近い。
それが時代を経て、handle等の具体的な意味も包括し、
現在ではさらにcope, deal withといった意味も含む、
非常に便利な単語として存在している。
今はまだ死語となってはいなくとも、いづれは回りくどい表現は段々と
書き言葉としてしか存在しなくなるかもしれない。
このような変化は、確かに時代の流れにおいて必然であるのかもしれないが、
それを促進する要素として、移民のアメリカ語教育が大きな影響を持っていることは確かである。
こういった変化はアメリカ語に限ったもののみならず、
今後移民を受け入れる国にとっては共通の現象となるだろう。
日本語の変化はこれとはまた違う種類の変化を
遂げているようだ。日々若年層の間で生み出される単語。
流行語大賞とかなんとかってはしゃいでいるくらいだから、
言葉もある種のスタイルとして、
身にまとう衣服のような、お洒落の一環として存在しているような気もする。
ここアメリカで懐かしい日本語に出会った。
きれいな言語だと思った。
Saturday, December 02, 2006
December
Friday, December 01, 2006
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