Friday, December 29, 2006

Endo


今年も残すところあと1日となった。
年の締めくくるに相応しい話題を考えていた。
現代社会におけるダーウィニズムについて・・・
いやいや、もう頭を使うのは来年までとっておこう。

9月に始まったsLowですが、
まとまりのない駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
精進に努めますので、来年もまたよろしくお願いします。

2007年がお互いにとって良い1年でありますよう。

管理人

Tuesday, December 26, 2006

so now, it is over...


こんなフレーズ、あちこちで耳にしますが、
クリスマスもいつの間にか終わってしまいましたね。
僕の住んでいるアパートも
ますます人気がなくなって、天気もどんよりと曇っているせいか、
どうも気持ちが晴れません。

気分転換にと、よく利用するカフェまでやってきました。
ここもいつもなら学生でいっぱいなのですが、
今日はなにやらがらんとしています。
隣のソファに座っているおばあさんが
読書の合間にうとうとしているのが可愛かったりします。

冬休みはなかなか短いので、
これを機に今まで読めなかった本を片っ端から読んでいます。
日本語の活字も久々に読みました。
気持ち良いくらいにスラスラ読める。うれしいことです。

今日は折角時間があるので、
僕自身の事について少し書こうかなと思います。
長所っていうのは気恥ずかしいので、
ここでは短所についてのみ言及しておきます。

僕は昔から文章を書くのが苦手です。
特に手紙なんかは大嫌いで、筆不精さ加減に人はよく呆れています。
書いているうちに、やっぱりあれも書いておけばよかった、
これは失礼かなと考えて、また新しいのを書き始めるんですね。
そうすると時間ばっかり経ってしまう。
素直に思ったことを文章にできればいいのですが、
語彙力のなさでしょうか、
どうもうまくいかない。

加えて面倒くさがりがたたるとどうしようもないのです。
じつは9月にとても仲良くして頂いている方から
がんばれと励ましの手紙をもらったんですね。
それがとてもうれしかったことと、失礼はしちゃあいかんということで、
1週間もしないうちに返事を書き上げたんです。
ついでだからと昔馴染みの友人にも手紙を書いて一緒に出そうと思って、
紙とペンを用意したはいいが、何を書こうか定まらない。
そうこうしているうちになんとか1枚、2枚と書いたのですが、
今度はなんだか物足りない。やはりポストカードの1枚でも
入れるべきかと考えていると、学校の方がどうも忙しくなってしまったんですね。
そのまま鞄に2つの手紙を忍ばせたまま
時間が経ったわけです。
今度は手紙の内容が、時季とどうしても合わない。
それから書き足したりすると今度は封をするのに糊がない。
どうしてそこで面倒さを覚えるのか自分でも不思議なんです。
結局ポストカードにクリスマスカードを加えて、
そこに新年の挨拶を書いてようやく出したわけですが・・・
こんな自分が情けない。

もうひとつ、
これは短所というか、フィジカルなことなんですが、
昔からどうしようもなく身体が硬いんです。
思い切り曲げてみても、U字は程遠く、どうがんばっても「へ」の字にしか見えない。
身体が硬いから何をやってもすぐあちこちで悲鳴があがるんです。
夜には肩とか背中とかが凝って、
寝たら治るのかというとそうでもない。
親に言わせれば、それは頭が固いからだよと。
確かにそうかもしれない。
祖父母譲りの頑固さは小さい頃から
自覚していたものです。
もう少し、柔軟な考え方ってのを身に付けないと
他人に迷惑ばっかりかけてますね。

そんなことを考えた、
午後のティータイムでした。

Tuesday, December 19, 2006

eMo


さて、しばらく体調が優れなかったわけだが、
人は病むとどうも余計なことまで考える傾向にあるようだ。
僕もベッドの窓から
下に見える人や車の往来を眺めながら、
ついつい、答えの見つかるようでもないことばかり考えていた。

そうこうするうちに
どうしても外の空気に触れたくなって、
上着をひっかけて、通りへと降りてみる。

そこには色があって、
僕の頬もぱっと紅潮するのがわかった。
その赤は全身へと広がり、
やがて周りの建物も、空も染めてゆく。

Thursday, December 14, 2006

Lingo


世の中何が正しくて、何が間違ってるのか、
それはずっと後になってわかることなのかもしれない。

人が何かを判断する時、または選択をする時、
個人の持つ情報を最大限に生かして、
しかしその範囲において、
最も有益な結論を導こうとする。

情報というものが
蓄積される時、
それは二元的に処理されることが多い。

それはサイエンスの世界であって、
アートやリトラチャーの世界ではない。
そのためか、
情報が白なのか黒なのか、
良いのか悪いのか、
どちらかはっきりしないと
どうも気が済まない。
そこにはグレーは存在せず、
△もタブーなのだ。

こうして、
情報は対極にある箱の中にどんどんと
詰め込まれてゆき、
そして、曖昧な情報が入ってくるたびに、
ありったけの情報を箱から
引っ張り出して、
比較という方法によって、
どちらかの極に振り分けられる。

比較という手段、
これは様々な分野において応用されている。
しかし、この比較がされた結果
情報が間違った極に振り分けられることも
日常にある。
また、どちらにも属すもの、
どちらにも属さないものの扱いについては
とりあえず、条件付きでどちらかに
振り分けられる。(そうせねばならない)


これはまた次の機会に続く
イントロということで。
どうも寝不足がたたって
頭の回転がいつも以上に遅いようです。
本当は友達について書こう
と思っていたのだけれど、
手がいつのまにかこうしてタイプ
してたもので。

二元論、ということでいうなら、
駄文も駄文、悪の典型ですな。
失敬

Saturday, December 09, 2006

Tall Enough?

今回はWashington Memorialの紹介。。。
詳しくはWikipedia参照ということで。

まあそんなこんなです。
なんとかやっています。

Tuesday, December 05, 2006

Things to Give Up


アメリカにおける移民の数は年々増加の一途を辿っているわけだが、
それに伴いアメリカ語も驚くほど変化している。

その変化はどこか、種の盛衰と近いものがあるような気がする。
口語としての単語の数は減少傾向にある。
その分、使われる頻度の多い単語の用途が広がっている。
図にすると、ちょうどピラミッドのような形で、
上位にある抽象的な単語が下位にあるより具体的な単語を飲み込んで、その裾を広げているのである。

例えばmanageという単語。
本来の意味はtake care 等に近い。
それが時代を経て、handle等の具体的な意味も包括し、
現在ではさらにcope, deal withといった意味も含む、
非常に便利な単語として存在している。
今はまだ死語となってはいなくとも、いづれは回りくどい表現は段々と
書き言葉としてしか存在しなくなるかもしれない。

このような変化は、確かに時代の流れにおいて必然であるのかもしれないが、
それを促進する要素として、移民のアメリカ語教育が大きな影響を持っていることは確かである。
こういった変化はアメリカ語に限ったもののみならず、
今後移民を受け入れる国にとっては共通の現象となるだろう。

日本語の変化はこれとはまた違う種類の変化を
遂げているようだ。日々若年層の間で生み出される単語。
流行語大賞とかなんとかってはしゃいでいるくらいだから、
言葉もある種のスタイルとして、
身にまとう衣服のような、お洒落の一環として存在しているような気もする。
ここアメリカで懐かしい日本語に出会った。
きれいな言語だと思った。

Saturday, December 02, 2006

December


やっと冬らしくなって気がする。
透きとおった空気を感じて、
ちょっとうれしくなった。

僕は冬が大好きだ。

別に冬生まれだからとか、
イベント事が多いからとか、
そうゆうことはあんまし関係ないと思うけど、
とにかく昔から冬が大好きだ。

晴れの日は特に良い。

冬の澄んだ空気の中では
色はうそをつかないから
目に飛び込んでくる景色が
とても瑞々しい。
そしてやんわりとした太陽の光に
包まれると、
すべてが美しく見える。

夜は星がきれいで、
鼻とか耳とか真っ赤にしながら、
いつまでも空を見上げている。

今朝
氷柱を見つけた。
朝日に照らされて、
きらきら光っていた。
自然の贈り物。

Friday, December 01, 2006

Mother


今日は
母の誕生日である。

母さん、
おめでとう。

きっと
そんなことお構いなしに
黙々と働いているのだろうなぁ。
そんな母に
ありがとうの気持ちでいっぱいだ。

Thursday, November 30, 2006

Service


良いサービスとは一体どのようなものなのか。
今日はそんなことを考えながらバイトに耽た。

1対1としてのサービス。

1対多数としてのサービス。

お客さんの立場からすれば当然に1対1のサービスであろうし、
一般のサービス業の立場からは、どうしても1対多数のサービスになりがちである。
なりがち、と言うとどうも聞こえが悪いが、
本当に1対多数のサービスが劣るのか。

お客さんは
お金を払い、サービスという形でその対価を得る。
多くの場合には物質を伴って。
人間というのは貪欲なもので、
支払った金額相当のサービスを受けても、それだけでは満足せず、
何らかのプレミアを求める。

それはちょっとした気遣いだったり、
笑顔だったりといったもので足るのか。
それとも“お客様”として扱われることなのか。

うむぅ
とにかく
目の前の客は片付けた。

Tuesday, November 28, 2006

Potential


人間は極限に達した時、
とてつもない力を発揮したり、
やけに頭が冴えたりするものだ。

かつて釈迦は菩提樹の下で
49日の観想の後に悟りを開いた。
その前には
6年にも及ぶ苦行を遂げている。

こうした極限状態に
自ら身を置くにせよ、
周囲の環境からそのような状態にならざるを得ないにせよ、
繰り返すが、
人間は今までにない力を引き出すことができる。

潜在能力というものか。

訓練によって、
自在にその力を操れるようになるのだろうか。

そんな力は
己の中でいまだ目覚めようとしない。
あと2週間、
短いようで、
長いものだなぁ。

Friday, November 24, 2006

HAKATA JAPAN


うつくしきもの、瓜にかきたるちごの顔。すずめの子の、ねず鳴きするにをどり来る。
二つ三つばかりなるちごの、急ぎてはひ来るみちに、いと小さき塵のあり けるを、目ざとに見つけて、いとをかしげなる指にとらへて、おとななどに見せたる、いとうつくし。
かしらは尼剃ぎなるちごの、目に髪のおほへるを、かきは やらで、うちかたぶきて、ものなど見たるも、うつくし。  
大きにはあらぬ殿上童の、装束きたてられてありくも、うつくし。
をかしげなるちごの、あからさまに抱きて遊ばしうつくしむほどに、かいつきて寝たる、い とらうたし。
雛の調度。蓮の浮き葉のいと小さきを池よりとりあげたる。葵のいと小さき。なにもなにも、小さきものは、みなうつくし。
いみじう白く肥えたるちごの、二つばかりなるが、二藍のうすものなど、衣長にて、たすき結ひたるがはひいでたるも、また、短きが袖がちなる着てありく も、みなうつくし。
八つ九つ十ばかりなどの男児の、声はをさなげにて文読みたる、いとうつくし。
にはとりのひなの、足高に、白うをかしげに、衣短なるさまして、ひよひよとかしがましう鳴きて、人のしりさきに、たちてありくも、をかし。
また、親の、 ともにつれてたちて走るも、みなうつくし。  かりのこ。瑠璃の壷。

かわいかもんは、うりに描いとー子供ん顔。
すずめん子のねずみのごたー鳴きながらはねてくるともかわいかね。
2つ3つばかしのこどもの、いそぎながらはって来よーときに、小さかほこりんあるとば、よー見つけて、
これまたかわいか指でつまんで、大人に見せとーとも、ばりかわいかぁ。
頭ば尼そぎにしとーこどもの、目に髪がかかっとーとを、はらいもせんで、首ばかしげて、物を見とーと、かわいかぁ。
そげんまだ大きない殿上童ん、装束ばきてからあるくとも、見よってかわいか。
・・・・

あ、枕草子のうつくしきものを博多弁訳しようとアホなこと考えながら
途中でわからんくなってしまった。想像はできるが、ウソはかけないし。
まあそれだけヒマってことだろうか。やばい、空の色がやばい。

Tuesday, November 21, 2006

Home


にんげんが
旅をするのは
帰る家があるから

そんなフレーズが長渕 剛の歌にあったのを今でも覚えている。
まさにその通りである。
こうやって落ち着ける場所があることを知っているから、
不慣れな環境でも精一杯やっていける。
こうやっていつでも温かく迎えてくれる場所があることを知っているから、
また気持ち新たに次の一歩を踏み出せる。

僕には
2つの家族がある。
日本とアメリカに1つずつ。
どっちも僕にとっては
大切な家族で、
両手をいっぱいに広げて迎えてくれる。

次の旅へ向けて
しばしの休息。

Thursday, November 16, 2006

Burn, Bury, or Recycle


普段あまり意識しないが、日本は先進国の中でもゴミのリサイクルが非常に進んでいる。リサイクルというからには、もはやゴミではなく資源なのか。少し前までは日本でもそうだったように、ほとんどの国ではゴミはゴミで、とにかく袋に詰めておけば処理場に運んでくれる、まだまだそれが現状だ。先進国においても、燃えるごみと燃えないゴミの区別がされる程度か。大学や官公庁など公共機関においては紙のリサイクルも行われているようだが、一般家庭までにはなかなかその意識は浸透していない。

さて、日本の通りを歩くと、曜日によって色の違う袋が並び、それも透明でちゃんと中が見えるようになっている。ゴミ袋の有料化なんてのもまだ新しい。環境政策を考える時、まず3つの大きな柱がある。ひとつは人々の環境に対する意識で、これは教育やトレーニング、モラルの向上や技術面でのバックアップなどが含まれる。そして馴染み深いのがいわゆる規制というもので、量的な規制、罰金などによるものと、政府などの機関による直接のコントロールがある。そして最後がインセンティヴで、税金や補償金などがある。ヨーロッパの国々においては最初の柱に重点を置くために、その効果が出るまでに長い時間がかかってしまう。しかし、その意識がひとたび浸透してしまえば、あとは極小のコストでリサイクルごみの収集が可能となる。それに比べてリサイクル大国日本では後者2つを採用した。これは直接的で、その効果も大きく、すぐに数字として現れるが、その背景として、収集にも膨大なコストがかかっているのが現状である。そして規制といった言葉に過敏な人々はなんとか逃れようと、けっきょくいたちごっこになってしまう。

さて、そうやっていつの間にかリサイクルのシステムに取り込まれた日本人だが、その意識はあまり高いとはいえず、実際どれがリサイクル可能なゴミで、どれが不可能なのか、どれがリサイクルされたものなのか、曖昧なことが多い。例えば紙のリサイクルも、感熱紙や色のついた紙、シュレッダーにかけられたもの、インクの種類なんかでもそのコストは変わってくる。プラスチックは紙にくらべてその収集方法が容易なうえに、コストも低い。紙コップとプラスチックカップ、紙パックかペットボトル、ちょっと考えてみては。

リサイクル可能な物の代表にアルミ缶がある。日本ではその9割近くがリサイクルされている。電気の缶詰という言葉に要約されるように、アルミ缶の製造には相当の電力を消費する。しかしそのリサイクル家庭においては、ほとんど電力を使わず、じつはかなりの優等生なのである。しかもその高い収集率、リサイクル率は平成の大不況、失われた15年といわれる経済が低迷期に入ってから達成された。その背景にはホームレスの増加があるといわれている。たしかに街中を歩けば、空き缶で一杯の袋をいくつも自転車にぶら下げて、よろめきながら歩道をいっぱいに使っているホームレス達を目にする。たしかに最近道路に落ちている空き缶の数が激減した。

不況を脱したと沸く日本、その今後を見守りたい。

Sunday, November 12, 2006

Kafe


最近バイトを始めた。

大学の図書館に併設されているのだが、
さすが、と言おうか、
様々な人がやってきて、
様々なものを買い求めてゆく。

その時その時が
新しい出会いで
面白い。

人は見かけで判断しちゃだめ
とかなんとか
小さい頃に聞いたような気がする。
確かに。

しかし、
こうゆうバイトも
おかげ様で地元福岡で
2年近くやっていた自分。

ぱっと人を見て、
そこからありったけの情報を
見て盗る術を
体得している。

外見から
どういった情報を得るか。。。

性別や人種といったものが
まずあきらかであろうか。
そして年齢(層)
服装にも結構その人の
仕事柄だったり、習慣をみることがある。

カフェに来る人達。
歩き方、
その挨拶の仕方、
メニューを見るときの仕草、
注文の仕方、
その内容、
お金の渡し方、
財布(普段見えないところだけにその人の性格がよく現れる)
飲み物を待っている時の行動、
そして受け取った後の行動(まずちょっと味を確かめる人、砂糖等の量、ふたを外して飲む人、つけたままな人、コップを持つ位置、マドラーの扱い、etc...)

特に
日課としてやってくる人は、
観察するごとに、
その人物像がはっきりとしてくる。

僕が福岡にいたころ、
新人さんが
つまらんのなんのと
言っていたのを思い出す。

ちょっとしたレジのやり取りで
これだけ面白いのだ、
なんて贅沢な。

今、福岡を離れて、
アメリカの大学でまた
そういった小さな出会いを
日々、重ねている。

まったく異なるカルチャー
そして異なる環境においては、
これまでの常識が非常識になり、
非常識が常識であったりする。

人種のるつぼ

僕は日本人だ。
福岡からやってきた!
そのプライドを背に
目の前の壁を
乗り越える。
そういやぁ轟先生が
外に出たら、看板をしょってるとか
言ってたっけ。
今僕は、
九大という、
福岡という、
そして日本人という
看板をしょっているのかな。

そんなに重くないけど笑

そうやってその日暮。
今週はアメリカの
キャピタルに
乗り込んでやろうと思う。

そしてまた、
僕の常識が一つ
音を立てて崩れる。

Conversation①



Sity - Hey Naoya, where do u live? On campus??

Naoya - Yeah, Northwood apartment.

S - Really?! I live in Northwood, too!
So Northwood Ⅲ??

N - Yeah...

Lexi - I live in Northwood Ⅲ also.

N - Which building? I'm in 2155.

S - I'm in 2155!

L - I'm in 2155!

N,S, and L - (Laughter)

Thursday, November 09, 2006

ARAKIMENTARI


荒木 経惟
アラーキー

    エロス

     愛

   死

    女

       性
  
  母


 
    苦
              色

      楽

  静


彼の愛に対する考えは
なんかよく解る気がする。
だからその色が出るのかなぁ。

生きてるってことなのかなぁ

Monday, November 06, 2006

Better technology? Better quality?


前々回あたりに書いた
Indoor air pollution の問題。

いちおう一般的な情報に
言及するに留めたが、
僕が考える環境(問題)ってものからすれば
あんなものは全く必要ない。

今僕らが必要とする環境政策っていうのは
産業においてであって、
個人の生活うんぬんではない。
発展途上国に対する
技術の提供。
考えただけでも
おそろしい。

人間は道具を発明して以来
爆発的に人口を増やした。
食物連鎖の頂点に
躍り出ると、
自然を支配し、
当然の結果である生態系の
アンバランスに怯え、
さらに技術をもってして
現状を乗り切ろうとする。

保護なのか、再生なのか、リハビリテーションなのか、
まずはっきりしない。

先進国は
発展途上国に、
富裕層は
貧困層に
その価値を押し付ける。
そして、
美しいものを
破壊する。

太陽光を例にすると、
そういったものが途上国
貧困地域に普及して、
いわゆる
Indoor air quality
が改善されたとして、
その後の影響にまで
先進国は責任を負うのか?

もし負うのであれば
どうぞ、と言いたい。

しかし現に
先進国はその技術をもってして、
発展途上国の
栄養事情を、
医療の質を、
ぐんぐんと同レベルまで引き上げて、
高出生率、
低乳幼児死亡率を実現し、
平均寿命もうなぎのぼり、
そんな社会を作り上げた。

人口爆発
そんな言葉を教科書で見た。
原因は・・・なにやら
難しい言葉を並べているが、
はっきりと先進国の
無計画、
自己満な
環境政策の
結果だと言ってくれればいいのに。

でたらめな数字を
目標に掲げて、
それを達成することで
自己満足に浸る。
内の目を
外に向けさせる。

彼等は
ずぅっと昔から
同じ生活をしてきた。
そこに突然
横文字でよくわからん
組織の人間がジープに乗って
やってくる。

薪を使うのは
非常に健康に悪いと
急に見知らぬ人間が
彼等の健康の心配をする。
よくわからないからというと、
今度はCO2がなんとか、
先進国ではどうのと、
わけのわからんことを
延々と説明する。

結局
言われるがままに。

しばらくすると、
森は焼いたらだめだ、
この動物は
殺しちゃいかん、
この水はだめだ、

更には
ここに住め、
これを食べろ、
この道具を使え、

人々は
混乱して
どうしていいのかわからない。

ただ
言われるがまま。

世界の人口は65億を軽く
超えてしまい、
その人口を十分に
養えてない。
昔、そんなアンバランスさを
表した世界地図が
あった。
そんな気がする。
なんともおかしな地図だったなぁ。

環境を考える時、
先にも述べたように、
保護なのか、
再生なのか、
リハビリテーションなのか、

そして
全体なのか、
地域なのか、
個人なのか、

まずはっきりさせる必要がある。

そして、
特に
地域や個人といった
小さな単位になればばるほど、
将来的に
数字(量)における目標は
達成したとしても
質において、
悪化させる
そんなリスクが非常に多いことを
頭に置かねばならない。

人間が
何かを諦めることが
出来るたびに、
少しずつ
地球は美しさを取り戻すのかもしれない。

それが環境問題に対する
僕らができる、
そしてもっとも効果的な
ことなのかもしれない。

でもそれには
相当の覚悟がいる。
きっと僕には
無理だろうなぁ。

そんなことを考えると
外が明るかった。
今こうして
一杯の熱いコーヒーを
飲めるのは、
過酷な環境で
豆を育ててくれる人がいるから。

Friday, November 03, 2006

Chicago④


シカゴの街を気持ちよく歩ける理由の一つは
ゴミの少なさではないだろうか。
歩道なんかに落ちているゴミを
滅多に見かけないのだ。

他の大都市らしからず、というか


そんな街の名物が
シカゴピザ。

ディープディッシュの
ボリューム満点なシカゴピザの
生みの親は
Pizzeria UNO
本店は流石の風格で、
お洒落なシカゴ市民で
にぎわっている。

今回はそんなダウンタウンの
お洒落さんとは一味ちがう、
街の外れでひっそりとやってる
隠れ家的なお店。
その名も
Chicago's Pizza

電車を乗り継いで、
駅からも歩くこと10分。
周りの店も閉まって
ひっそりとした郊外の通りで
その店のネオンが
まぶしい。

メニューを開いて
そのトッピングの多さに
目を見張る。
今回の連れは
ベジタリアンということもあり、
ほうれん草と
マッシュルームを注文。

ディープディッシュな分
余計に焼く時間もかかるので、
おつまみをくれたりする。
なんやろ~って期待して・・・
出てきたのは
パン。

これから食べるのはピザだろう~とか
みんなの心の中にちょっとした疑問が浮かんだのは
表情を見ればすぐにわかる。
でも腹をすかしてやってきた僕ら。
とりあえず一片。。。
手を伸ばす。
う、うまい!
とりあえず
会話でごまかそうとするも
皆の手は自然とそのパンに・・・

それらをきれいにたいらげた頃、
お待ちかねのピザがやってきた。
キルフェボンのタルトを
食べたことある人、
あれひと回り大きくして、
厚みを2倍にしてもらったくらいの
ピザを考えてもらったら
よいでしょうか。

しかもそれを2枚頼んで、
パンを平らげてしまった僕らは
その場で絶句。
もう見ただけでお腹いっぱいや~

そんなピザを熱い内に口に運ぶ。
今まで食べたどのピザとも違って、
今まで食べたどのピザよりもおいしかった。
結局それを2ピース食べて
ギブアップ。

アメリカってでかいだけじゃないんや~
とかちょっと感心した。
失礼しました。
こんなうまいもんがそばにあったら
そら太ってもしょうがないかな。

でもこれで満足して
ミシガンに帰れる。

もっと書くことはあるのだけど、
とりあえず今回の
シカゴ日記はこの辺で。
いや、怠慢さが原因なのですがね。

他にも書くことが山のようにあるので。

Tuesday, October 31, 2006

Sun


Solar Power Technology

小さい頃、よく虫眼鏡なんかを太陽の下において、
葉っぱなんかに穴ほがしてみたりした。

太陽が燃えるのを止めてしまわない限り、
その光は永遠と地球に降り注ぐ。
光が朝と昼を作って、
光が僕らに色を伝えてくれる。

そんな太陽の光を資源として、
特に化石燃料の代替エネルギーとして
なんとか利用しようとした開発がすすめられている。

やっぱりお馴染みなのが
太陽電池。
ソーラーカーとかってのを想像してもらって、
あの車体を包み込んでるやつ。
一つ一つのcellが光を集めるんだけども、
なかなか一般家庭に普及するには
時間がかかりそう。
やっぱり一番の問題はそのコスト。

ところで、大気汚染って言葉を耳にした時、
ぱっと思い浮かべるのは、
スモッグやらに包まれた大都市、
または工場群。
でももっとローカルな、家庭レベルに
おける大気汚染だって深刻だ。
Indoor Air Pollution
ってやつ。
これは発展途上国において顕著なもので、
石炭やら、薪なんかを主燃料として、
特に料理や暖房に利用している地域においては、
換気なんかも十分でなく、
室内に有害な物質が充満してしまう。

そんなものを毎日吸っていたら
健康なんてものはいつになっても
やってこない。
かといって、インフラの整備やら、供給格差がある中で、
石油や天然ガスといった資源に
簡単にシフトできるわけではない。

この問題の解決に大きな役割が期待されているのが、
太陽エネルギーである。
その導入にはコストがかかるし・・・う~ん

でもその光の反射や屈折をうまく利用して
集中できれば・・・
そこで最新のテクノロジーを駆使して
開発されたのが、Solar Cooker

フタを開ければアルミでできた箱。
でもこれがすごい!
晴れた日なら内部が
200℃は超える温度になるという優れもの。
しかも費用はなんにもかからないし。
それからさらに様々に改良されて、
発展途上地域において
活躍が始まっているようです。

これキャンプのお供に最適なのでは?
今後に期待です。

シカゴ日記に関しては、
次回、次々回あたりに更新を予定。
最近どうも環境問題について考える事が多いので、
内容がどうしても偏ってしまい、申し訳ない。
何か他にテーマがあれば、受け付けますぞ。

Sunday, October 29, 2006

Butterfly Effect


世の中で、
ほんの些細なことが
後の人生に大きく影響していることは
数知れない。

小さなもの、ちょっとした出来事、
ありふれた出会いが今の自分を
形作っていたりする。

そして、
瞬間では何ら影響を及ぼさないような、
そういったもので構成される社会は、
さらにフラクタルな構造を広げている。

Thursday, October 26, 2006

Dolls


愛とかって言葉は
僕にはあまり似合わない気がする。
同じ様に感じている人、
北野 武 監督 「Dolls」
是非見て頂きたい。

愛ってなんやろうか。
そんな疑問を普段から抱いている人。
この映画、
是非見て頂きたい。

何が僕等を生かしているのか。

僕らは何のために生きているのか。

同じように聞こえるけど、
本当は全く違う次元にある二つの疑問。
そして二つの延長線上にある



人間は何かと死ぬことに
意味づけをしたがる。
死ぬこと自体を差別して、
死に方も差別する。
死後の世界を創造して、
死んだらどうの、こうのと議論する。

理想の死に方は?なんて
質問もそういえば何度となく
耳にしたなぁ

からっぽ。
人形と一緒。

そんな時、
愛ってものが
障害となる。
多分、人を好きになるのは
簡単でも、
愛なんてものは
きっとつらいに違いない。
残酷なものに違いない。

愛が単なる感情ってファクターだと
からっぽになれば
それでおしまいなのになぁ。

残酷さを増すごとに、
色は深みを増してゆく。
さらに美しくなる。
そのことをWendersはとうの昔から
教えてくれてたんだなぁ。
北野氏、ありがとう。

Tuesday, October 24, 2006

Chicago③


さて、そんなシカゴの街
ちょっと昔まで、ひょっとすると今でも
結構悪名高かったりする。
犯罪率が全米でももっとも高かったり、
人種差別の多い街にランクされたり。



そんなイメージを払拭しようと、
近年あちらこちらで再開発が進んでいる。
といってもダウンタウンのど真ん中の
一角をぶち壊して新しいビルを
建てるといった類のものではなく、
もっぱら郊外の、特に貧困層が多い地域
において、である。
そういった地域はどうしても
犯罪が起きやすい。
それは無配慮の、恐い物見たさの
観光客が起因しているのかなぁと
少し反省したりもする。



再開発の一つとして
公共住宅の建設が特に目に付く。
暗いイメージ、犯罪の多さを
軽減するため、そういった住宅は
貧困層と中間層、時によっては富裕層も
共存するそうだ。
それぞれの収入などにあわせて、
賃料が変わる仕組みになっている。
確かに、そうやって新しい
人や物の流れを呼び込むことで、
周囲の環境は一変するに違いない。



もうひとつ、増加する移民、
特にヒスパニック系の住民への対策である。
彼等はメキシコなんかから
(時には違法に)
職を求めてやってくる場合が大半であり、
経済的にも豊かでない彼等が
街のどこへ住むのか、
折角の再開発も
水の泡と化してしまうのではないか、
懸念される。
現在の傾向としては、
大学などの周辺の
家賃の安い地域で
ヒスパニック系の住民が増加しているようだ。



郊外の問題と並行して、
大きな課題がある。
ダウンタウンにおけるホームレスだ。
こういった言い方をすると
少し乱暴になるが、
彼等が
生きるための術は
大都市で物乞いをするしかないようにも思える。
別にどちらがいとか悪いとか
比較するわけではなく、
質的にに日本のホームレスとは違っている。



ある女性が横断歩道を渡りかけた時に
段差に気づかず転倒してしまった。
週末でたくさんの人が
歩いていたにもかかわらず
真っ先に彼女に手を差し伸べたのは
通りで物乞いをしていた
2人のホームレスだった。


Monday, October 23, 2006

お詫び

いや、ほんとに申し訳ない。
今までコメントくれた皆さん!
なんでか
コメントの管理とかゆうのが有効になってて、
どうやら僕が承認しないと
コメントが公開されないようになってたようで・・・
そんな好き勝手にコメントしてもらっていいのに笑

そんなこととは知らず、
ずぅっとコメントないなぁ~とか考えてました
いやすんません。

早速最近のにはコメント返しておきましたんで、
今後ともよろしくお願いします。
なんとか管理がなんちゃらとか
はずすようにしますが・・・
素人なもんで。

Saturday, October 21, 2006

Chicago②


シカゴの街でやはり目に付くのが
ミシガン湖に沿って並ぶ
高層建築の数々だろう。

もちろんその数ではニューヨークや香港といった都市には到底及ばない。
しかしバラエティーの豊かさでは
他の大都市にもひけをとらない。

19世紀末の火災、
20世紀に入ってからの大恐慌などを
逆手にとって、建築ラッシュが始まり、
70年代、80年代と
世界でも有数の超高層ビルを残し、
現在に至るまで
多くの建築家のキャンヴァスとなり、
世界中の人々を魅了してきた。

そんなシカゴの建築の中でも
僕のお気に入りがある。
それがJohn Hancock Centerである。
ダウンタウンの北側、
ちょっとお洒落なお店が集まる
通りの一角、
古い教会とWaterTowerを見下ろすように
一つの黒い塊がそびえている。

1969年にSOMの設計で完成したそのビルは
100階建て、アンテナを含めて457.2M
側面は台形のどっしりしたビルは
ミシガン湖から吹き付ける
強い風にもびくともしない。

話によると2月の末に
94階まで階段であがる
競争があるらしい。
ちなみに記録は10分弱。
福岡タワーはどうでしたかね?

北の隅っこにそびえる
そのちょっと不器用なビルが
大好きだ。
見上げると、
てっぺんのあたりを
雲がすごいはやさで
泳いでいて、
目が回りそうになる。

Thursday, October 19, 2006

Chicago①


車は真っ黒い鉄の塊の中を一筋の光になって
周囲の闇を二分する。
ミシガン湖に沿って弧を描いて
Garyの街を過ぎた頃、
向こうの空がパッと明るくなる。
やがてその光は空全体を包んで、
あたりが急に騒がしくなる。
いつのまにか真っ黒い鉄の塊は
ずっと後ろで空と一つになり、
周りには四角い箱が整然と並ぶ。
そしてその箱は輝きと高さを増して、
窓をふさぐ。


あたかも古い遊園地のように
頭の上を電車がかすめると、
ゴォーっという音が会話をかき消し、
錆びた鉄と鉄の擦れ合う鈍い音が残る。
ずっと昔からそこにある石造りの建物と
真新しいガラス張りのビルとが隣り合う。
それが自然とマッチするから不思議なものだ。
古いものと新しいもの。
世界中から人々が集まり、
様々な文化が交差する。
そしてそんな全部が混ざり合って、
独特の空気を作り出す。


そんな街


シカゴ


その響きにどことなく惹かれる。
まず最初に訪れたのはメキシコ。
通りはラテン音楽とヒスパニック系の人々で溢れ、
原色に包まれるとどことなく興奮を覚える。
古いレンガ造りの建物が青い空に映える。
太陽をいっぱい浴びたおばちゃんの
タコスと笑顔が忘れられない。


人間は道具を持って飛躍的に進歩した。
今では世界は案外小さいものだなと感じる。


中国これまでいくつかのチャイナタウンを訪れたが、
シカゴのそれは中でも一番小さかった。
さながら観光地になりきれてない横浜。
でもそんな寂れた場所がどことなくなつかしく、
心地良かった。
そしてふらと寄った店の茶
美味
謝々


中国と近いうちに人口の多さで競うことになるインド
そのパワーは凄まじい。
通りは人で溢れ、様々な言語が飛び交う。
色とりどりのサリーが並び、
スパイスの匂いが食欲をそそる。
独特の強い訛りで
その店の主人はテキパキと列をさばいてゆく。
アジアからの“よそ者”を見つけたときの
ギョロとした目が印象的だった。

Sunday, October 08, 2006

overdrive

そう、
今Judy and MaryのOverdriveを聴いているわけなんですが
昨日ちょこっと話の中で出てきたんですよね。
CD持ってくればよかったなぁと

そんだけ。

なんとなくwikipediaに
Judy and Maryって入れたら
ちゃんと出てくるんです。
さすがですね。

え?
なにがって
wikipediaが

でも名前の由来なんかに
ほぉっ
って。
新しい発見ですね。

ちょこっと元気もらいました。

今日はこんなで
mixiと同じようなこと
書いてみました。

Friday, October 06, 2006

かりふぉるにや

今年の9月初日、
カリフォルニア州議会において
温室効果ガス規制法が可決された。

さすがカリフォルニア
どうやら巷では
ハリウッドの俳優達が
ハイブリッドカーを乗り回しているらしい。

今回はとりあえずCO2に限ってのこと。
でもまあ世界の排出量の25%近くはアメリカが
占めているんだから
やっと・・・って気がしないでもない

実は最近国連のHPうろちょろして
京都議定書なるものの全文を
読んでみた。

京都議定書(Kyoto Protocol)

まあ故橋本元総理大臣も
言いだしっぺだけではあったが
見栄なりなんなりが
なんとか形になったじゃないですか

2005年の2月16日に発行されたこの議定書
6種類の温室効果ガスの
削減目標を各国ごとに設定して、
基準年を軸に
達成するってやつ。

でもまあ数字だけは立派に見えても
現実味があんましないし
強制力にも欠けているなあ
京都って名前がついてることにすら
恥じらいを感じてしまう。

実際にスペインなんかは
目標値なんて
全く気にしていない。
建設ラッシュに加えて
干ばつだったりとかって
要因もあるみたいだけど。

この議定書、
先進国に関してのみ削減目標が
設定されていて、
発展途上国に関しては
今後の開発や環境保護についての
努力義務があるだけで、
他に特に規制は見当たらない。

それもそうか。

それに先進国に関しても
目標値を自国内で必ずしも達成する必要はなくて、
締結国間でのトレードやったり、
途上国での技術提供なりで
不足分を補えるらしい。

さて当のアメリカに戻ってみると、
目標値は7%の削減。
未だに批准せず。
いろいろとごねているみたいだけど、
実際にアメリカが達成できるわけないんだから
できないものをわざわざ批准する必要もないのかなって
そんな気もする。

アメリカの一番大きな問題は
でっかい都市があっちこちに散らばっていること。
西と東に海岸線を持っていて、LAとかシアトル、サンフランシスコから
東はニューヨーク、フィラデルフィア等
内陸にも散在していて、シカゴ、アトランタ、ダラス、ヒューストンなどなど。
だから公共の交通機関なんて
発達するわけがない。
日本では10万kmくらいでおさらばする車たちも
アメリカでは30万kmくらいだってがんばっている。

中国やインドも似たようなかんじなのかな。

他の国は意外とそうでもない。
オーストラリアなんかは
西のパース以外の都市は
ほとんど東海岸に沿って存在している。
内陸のほとんどは砂漠で
みんな海のちかくにへばりついて生活しているわけ。

カナダもアメリカとの国境線近くに大きな町は集まっている。
だから線路と高速道路、
主要なのが一本ずつ東と西を
結んでいればなんとか事足りる。
北部は
あんまり人が住むのにあんまりいい土壌じゃない。
寒さも厳しいし。

単に統計とって
その数字だけでは
なかなか解決策は見えてこない。

最近の授業で
環境の「保護」
ってことがよくテーマになる。

保護っていうのは保存とは違う。
今あるものなのか
過去に失ったものなのか

そして何を未来に残していくのか

パンダ一頭に何億ってかけて、
その背景で
年間25000種以上が
この地球上から姿を消している。

人間が今の生活を諦めることができるなら
と考えながら
それができない自分

Friday, September 29, 2006

#990066


教育ってのは受動的なものですかね
それとも教える側、教わる側の相互のやり取りがあって
初めて成り立つものなんですかね



知育、徳育、体育
食育
知識
宣言的(knowing that)か手続き的(knowing how)か

正しいか間違いか

才能
努力

学校
総合学習
規制 裁量
教育勅語、教育基本法

成績
GPA

社会、家庭、学校

年齢
生涯学習

詰め込みかゆとりか

権利と義務 
自由
学ぶ

学級崩壊 いじめ

戦争と平和が対義か

教科書問題
歴史
国策
愛国心   国旗・国歌
アイデンティティー



平等か 不平等か
差別?

表現
コミュニケーション
プレゼンテーション

暗記の限界
応用

alternative education

情報化
格差

必要/不要

ちょっと考え出すと難しいもんだな。
さて~目の前にあることから片付けよう。

Friday, September 22, 2006

#0033FF


アイデンティティーってなんやろか。

a person's self-affiliation (or categorization by others) as a member of a cultural group
-wikipedia

いろんな意味で使われるこの言葉、
一般的にはこの意味で大体イメージがあるのではないだろうか。
でもこれだとまだなんかすっきりしない。
社会共同体の一員としての帰属意識?
そもそも自分が帰属する共同体って?

the sameness of two things
-wikipedia

二つのものが同じであること。
うん、こっちのほうがすっきりくるな。
自分が考える自分と
他人が感じる自分

内の自分と
外の自分

明るいところに立つ自分と
暗いところに立つ自分・・・
そんな自分を同じ自分だって意識する
それがアイデンティティー

じゃあここで改めて
共同体ってのはなんやろか?

同じ地域で利害を共にする集団
血縁など自然発生した社会集団

もともと日本では族、内、家とかって言葉だろうか。
社会とか共同体ってのは訳語。
しかもそんな漠然としたものを訳したもんだから
わかりにくいことこの上ない

何を社会って呼んで、
どこまでを一つの共同体とみるかによって、
世の中の衝突とか利害調整ってのは
ずいぶんと変わってくるし
人は利害ってのがからんでくると
なかなか広い観点から物事を見れなくなって、
結局それは個人に還元されてしまう。

そこでぶちあたるのが
自分って何?
って疑問。
アイデンティティーの問題。
自分は自分
僕は僕で
あなたじゃない。
今生きていること
それがうれしい
そう感じることって
幸せだなと思った。

そんな秋の週末

Wednesday, September 13, 2006

オレンジ


最近本に囲まれてうれしい。
別に読むわけでなくても、本に囲まれて、
本の匂いでいっぱいの空気に囲まれているだけで
集中力がぐんと上がる。
新しい本って
まだ木の香りのような
新鮮な匂いだけど
なんか物足りない。
色んな人の手に渡って
活字ではない、すとーりいを残す。
ついページを折り曲げてしまう癖のある人
読んでる時につい落としてしまったり
かふぇーの空気だったり
たばこの煙だったり
電車で隣に座ったおばちゃんの香水だったり
そういったものを吸収して
読まれた分だけ、手に取った時にしっくりくる。
いいにおいがする。

そんな本に囲まれている。
一冊の本を手にとって
表紙をめくったその瞬間
それまでためこんできた
すとーりいを吐き出す。
そしてまた
新しいすとーりいを
刻んでゆく。
僕も本のように生きたい。

さて、タイトルのオレンジ。
アメリカにきてよく思うのが
街灯だったりってのが
とにかくオレンジなんだよね。
なんでだろう。
コストとか
持続時間とか
そんな理由なんだろうけど・・・

小さい頃、うちの近所の街灯は
裸電球ってやつだった。
夜になると
ぽつんぽつんと
オレンジの光を放って
自分の後ろから
長~い影が追っかけてきて
だんだんとその速さを増すとともに
短くなって
あっという間に追い越したかと思うと
また長くなって
自分の前に延びている。
なんとか追い越そうとするけど
もう遠く見えない。
かと思うと
またすぐ後ろに長~い姿を現す。
そんな
友達が
ある時姿を消した。

不気味な白い光が
突然現れて
目がくらむ。

長い間その友達は
姿を消していた。
でも今アメリカで
すぐそばにいる。
オレンジの光。
そして
後ろに延びる
長い影

Friday, September 08, 2006

C is for...


Now what starts with the letter C?

Cookie starts with C

Let's think of other things

COFFEE starts with C

Oh, who cares about the other things?

C is for cookie, that's not enough for me

C is for coffee, then enough for me

とかゆう歌があった気がする。

Now I can enjoy my coffee any time I want

Oh, filter doesn't fit?

Who cares? I cannot wait

Coffee is nonessential drink??

Who said that? FDA?

Homemade 100% Premium Orange Juice Calcium+ ??

What kind of drink is that?

Just gimme some coffee

クッキーモンスターが
クッキーばっか食べてるのは
子供に悪い影響だという。

モンスターにまで健康を求める世の中

人間が成長するとき

それは失敗したとき

悪いお手本っていうのも大事だって
身を持って知っているはずなのに。

確かにクッキーモンスターは
クッキーばかり食べて
まともに口にも入れずに
ぼろぼろこぼしてばかり

その姿をみて
早速まねをして
当然怒られる。

その繰り返しで
お行儀ってのは自然と
身に付くんじゃないのかなぁ

その繰り返しで
成長するんじゃないのかなぁ

今新しい環境で
毎日失敗失敗・・・

その繰り返しで
日々とても充実している。

そして、また今日も失敗して
家にたどり着いたとき
手元のコーヒーとクッキーが
とてもおいしく感じる。

謝謝

Monday, September 04, 2006

やっとまともな生活になってきた。
朝夕に散歩に出掛ける余裕も出てきた。
明日からクラスが始まれば
こうもしてられないのかな。

こちらでの生活、早くも2週間が過ぎて
少し変化があった。
よく空を見てしまう。
デ、デカい・・・
そういえば周りに高い建物がなかったり、
山もないせいか、
普通に歩いていても、視界に空が入る。

日本だと、なにやら看板だったり、
ごっちゃごっちゃ建物だったり、
すれ違う人や車も多いし、
とにかく常に脳みそが刺激されながら、
歩いている。
だからみんな疲れて見えるのか。
いっそのこと家の中にこもってたほうがいいとさえ思う。

でもこっちにきてから、
どうも外に出ずにはいられない。
目に飛び込んでくるのは、
ごまかしの街路樹なんかではない。
そもそも木が等間隔に並べられていることに
不自然さを感じなかったこと、
そんな自分が恥ずかしくさえある。

僕の視界にあるのは、
そんな緑と、
おっきなそらの青。
青いんだけど、
そのどこをとっても他の青とは違って、
時々雲なんかがあったりして、
その雲も同じ形を留めてなくて、
空の向こうからふわふわ浮いてきては、
反対側に見えなくなっていく。

福岡が好きだ。
でも、空を見るとき、
首を90度曲げて、
空を見上げてた。

今、空が目の前にある。
そのことが当たり前な生活。
それもまた良いと思う。

Friday, September 01, 2006

SLOW





 9月に入った。
September-
ここアメリカではもう秋もすぐそこだろうか。
Fall is not here yet? almost?
「秋」と言えば?
So what comes in Fall?
そう、読書。
Yeah, READing BOOKs.
そこで早速キャンパス内の本屋さんを朝からはしご。
Bookstores on Campus
一軒一軒、それぞれ違った匂いがして、
You can feel differnt air in each store
そのどれもが日本のとはまた違う。
And different from Japanese ones
3 FOR 2
3 for 2
そしてつい買ってしまう自分。
hmmm. I bought them. I mean... who doesn't?
The Google Story by David A. Vise

1776 by David McCullough

Running with Scissors by Augusten Burroughs

最初のはその名の通り、グーグルのお話。
The first one is a story. Yeah, story... about Google.
ちょっと前に日本の本屋さんの店頭で見かけたもの。
It already came out in Japan
次は、1776年が当時どれだけ大きな影響を
Next one is telling us how big the impact was
世界に与えたのか、イギリスとアメリカの間で
Drastic history between England and the U.S.
どんなドラマが繰り広げられたのか、
In 1776
そんな話。
Probably
最後は・・・
The last one is
ショートエッセイ集。
Short essays.
内容は、読んでみないとわからない。
What kind of stories? Who knows!!