Thursday, November 16, 2006

Burn, Bury, or Recycle


普段あまり意識しないが、日本は先進国の中でもゴミのリサイクルが非常に進んでいる。リサイクルというからには、もはやゴミではなく資源なのか。少し前までは日本でもそうだったように、ほとんどの国ではゴミはゴミで、とにかく袋に詰めておけば処理場に運んでくれる、まだまだそれが現状だ。先進国においても、燃えるごみと燃えないゴミの区別がされる程度か。大学や官公庁など公共機関においては紙のリサイクルも行われているようだが、一般家庭までにはなかなかその意識は浸透していない。

さて、日本の通りを歩くと、曜日によって色の違う袋が並び、それも透明でちゃんと中が見えるようになっている。ゴミ袋の有料化なんてのもまだ新しい。環境政策を考える時、まず3つの大きな柱がある。ひとつは人々の環境に対する意識で、これは教育やトレーニング、モラルの向上や技術面でのバックアップなどが含まれる。そして馴染み深いのがいわゆる規制というもので、量的な規制、罰金などによるものと、政府などの機関による直接のコントロールがある。そして最後がインセンティヴで、税金や補償金などがある。ヨーロッパの国々においては最初の柱に重点を置くために、その効果が出るまでに長い時間がかかってしまう。しかし、その意識がひとたび浸透してしまえば、あとは極小のコストでリサイクルごみの収集が可能となる。それに比べてリサイクル大国日本では後者2つを採用した。これは直接的で、その効果も大きく、すぐに数字として現れるが、その背景として、収集にも膨大なコストがかかっているのが現状である。そして規制といった言葉に過敏な人々はなんとか逃れようと、けっきょくいたちごっこになってしまう。

さて、そうやっていつの間にかリサイクルのシステムに取り込まれた日本人だが、その意識はあまり高いとはいえず、実際どれがリサイクル可能なゴミで、どれが不可能なのか、どれがリサイクルされたものなのか、曖昧なことが多い。例えば紙のリサイクルも、感熱紙や色のついた紙、シュレッダーにかけられたもの、インクの種類なんかでもそのコストは変わってくる。プラスチックは紙にくらべてその収集方法が容易なうえに、コストも低い。紙コップとプラスチックカップ、紙パックかペットボトル、ちょっと考えてみては。

リサイクル可能な物の代表にアルミ缶がある。日本ではその9割近くがリサイクルされている。電気の缶詰という言葉に要約されるように、アルミ缶の製造には相当の電力を消費する。しかしそのリサイクル家庭においては、ほとんど電力を使わず、じつはかなりの優等生なのである。しかもその高い収集率、リサイクル率は平成の大不況、失われた15年といわれる経済が低迷期に入ってから達成された。その背景にはホームレスの増加があるといわれている。たしかに街中を歩けば、空き缶で一杯の袋をいくつも自転車にぶら下げて、よろめきながら歩道をいっぱいに使っているホームレス達を目にする。たしかに最近道路に落ちている空き缶の数が激減した。

不況を脱したと沸く日本、その今後を見守りたい。

4 comments:

Anonymous said...

日本は、環境に限らずどの分野の問題についても、もっと一人ひとりの意識レベルに及ぶ政策を考えて欲しいもんです。

ちなみにうちは農学部で、環境に深いかかわりがある学科だよ~。環境を主眼において行政分野、ビジネス分野に進もうとする同期を見ていると、これから先、なかなか期待できそうです。

Anonymous said...

昔の家の周りは田舎だったから、ゴミが落ちてたけど、ホームレスなんて見たこと無かった。今、アルミ缶が落ちているのを見なくなったかわりに、ホームレスを見慣れてしまったよ。どっちかしか選べないのかなぁ。

Anonymous said...

日本は規制という形でしか物事を上手く実行・持続することが出来ない弱い国なのかも………
でも、それでも上手くいっているのなら………よほど大きな意思がないと、人々の意識は変えられないと思う。

ゆっきぃ said...

>たいすけ
あれ、いつから農学部に??やっぱり政策ってのはやっぱしトップダウンなものかねぇ。ボトムアップな政策ってのがもっと容易に実現されるようになると、意識レヴェルでの改革ってのも現実的になってくるのかなぁ。
>まゆみ
そうやねぇ。ゴミの存在はどうにかなるとしても、ホームレスの存在ってのはどうしようもないと思うがね。彼らの社会的な役割ってのも考えてみると面白いかもね。
>あっこ
社会ってのは規制、ルールでもってしかコントロールできないからね。でも、ただ抑えるようなのではなくて、人々の意識を変えるような、そんな規制、ルール作りの在り方が求められるのかな。