Tuesday, October 31, 2006

Sun


Solar Power Technology

小さい頃、よく虫眼鏡なんかを太陽の下において、
葉っぱなんかに穴ほがしてみたりした。

太陽が燃えるのを止めてしまわない限り、
その光は永遠と地球に降り注ぐ。
光が朝と昼を作って、
光が僕らに色を伝えてくれる。

そんな太陽の光を資源として、
特に化石燃料の代替エネルギーとして
なんとか利用しようとした開発がすすめられている。

やっぱりお馴染みなのが
太陽電池。
ソーラーカーとかってのを想像してもらって、
あの車体を包み込んでるやつ。
一つ一つのcellが光を集めるんだけども、
なかなか一般家庭に普及するには
時間がかかりそう。
やっぱり一番の問題はそのコスト。

ところで、大気汚染って言葉を耳にした時、
ぱっと思い浮かべるのは、
スモッグやらに包まれた大都市、
または工場群。
でももっとローカルな、家庭レベルに
おける大気汚染だって深刻だ。
Indoor Air Pollution
ってやつ。
これは発展途上国において顕著なもので、
石炭やら、薪なんかを主燃料として、
特に料理や暖房に利用している地域においては、
換気なんかも十分でなく、
室内に有害な物質が充満してしまう。

そんなものを毎日吸っていたら
健康なんてものはいつになっても
やってこない。
かといって、インフラの整備やら、供給格差がある中で、
石油や天然ガスといった資源に
簡単にシフトできるわけではない。

この問題の解決に大きな役割が期待されているのが、
太陽エネルギーである。
その導入にはコストがかかるし・・・う~ん

でもその光の反射や屈折をうまく利用して
集中できれば・・・
そこで最新のテクノロジーを駆使して
開発されたのが、Solar Cooker

フタを開ければアルミでできた箱。
でもこれがすごい!
晴れた日なら内部が
200℃は超える温度になるという優れもの。
しかも費用はなんにもかからないし。
それからさらに様々に改良されて、
発展途上地域において
活躍が始まっているようです。

これキャンプのお供に最適なのでは?
今後に期待です。

シカゴ日記に関しては、
次回、次々回あたりに更新を予定。
最近どうも環境問題について考える事が多いので、
内容がどうしても偏ってしまい、申し訳ない。
何か他にテーマがあれば、受け付けますぞ。

Sunday, October 29, 2006

Butterfly Effect


世の中で、
ほんの些細なことが
後の人生に大きく影響していることは
数知れない。

小さなもの、ちょっとした出来事、
ありふれた出会いが今の自分を
形作っていたりする。

そして、
瞬間では何ら影響を及ぼさないような、
そういったもので構成される社会は、
さらにフラクタルな構造を広げている。

Thursday, October 26, 2006

Dolls


愛とかって言葉は
僕にはあまり似合わない気がする。
同じ様に感じている人、
北野 武 監督 「Dolls」
是非見て頂きたい。

愛ってなんやろうか。
そんな疑問を普段から抱いている人。
この映画、
是非見て頂きたい。

何が僕等を生かしているのか。

僕らは何のために生きているのか。

同じように聞こえるけど、
本当は全く違う次元にある二つの疑問。
そして二つの延長線上にある



人間は何かと死ぬことに
意味づけをしたがる。
死ぬこと自体を差別して、
死に方も差別する。
死後の世界を創造して、
死んだらどうの、こうのと議論する。

理想の死に方は?なんて
質問もそういえば何度となく
耳にしたなぁ

からっぽ。
人形と一緒。

そんな時、
愛ってものが
障害となる。
多分、人を好きになるのは
簡単でも、
愛なんてものは
きっとつらいに違いない。
残酷なものに違いない。

愛が単なる感情ってファクターだと
からっぽになれば
それでおしまいなのになぁ。

残酷さを増すごとに、
色は深みを増してゆく。
さらに美しくなる。
そのことをWendersはとうの昔から
教えてくれてたんだなぁ。
北野氏、ありがとう。

Tuesday, October 24, 2006

Chicago③


さて、そんなシカゴの街
ちょっと昔まで、ひょっとすると今でも
結構悪名高かったりする。
犯罪率が全米でももっとも高かったり、
人種差別の多い街にランクされたり。



そんなイメージを払拭しようと、
近年あちらこちらで再開発が進んでいる。
といってもダウンタウンのど真ん中の
一角をぶち壊して新しいビルを
建てるといった類のものではなく、
もっぱら郊外の、特に貧困層が多い地域
において、である。
そういった地域はどうしても
犯罪が起きやすい。
それは無配慮の、恐い物見たさの
観光客が起因しているのかなぁと
少し反省したりもする。



再開発の一つとして
公共住宅の建設が特に目に付く。
暗いイメージ、犯罪の多さを
軽減するため、そういった住宅は
貧困層と中間層、時によっては富裕層も
共存するそうだ。
それぞれの収入などにあわせて、
賃料が変わる仕組みになっている。
確かに、そうやって新しい
人や物の流れを呼び込むことで、
周囲の環境は一変するに違いない。



もうひとつ、増加する移民、
特にヒスパニック系の住民への対策である。
彼等はメキシコなんかから
(時には違法に)
職を求めてやってくる場合が大半であり、
経済的にも豊かでない彼等が
街のどこへ住むのか、
折角の再開発も
水の泡と化してしまうのではないか、
懸念される。
現在の傾向としては、
大学などの周辺の
家賃の安い地域で
ヒスパニック系の住民が増加しているようだ。



郊外の問題と並行して、
大きな課題がある。
ダウンタウンにおけるホームレスだ。
こういった言い方をすると
少し乱暴になるが、
彼等が
生きるための術は
大都市で物乞いをするしかないようにも思える。
別にどちらがいとか悪いとか
比較するわけではなく、
質的にに日本のホームレスとは違っている。



ある女性が横断歩道を渡りかけた時に
段差に気づかず転倒してしまった。
週末でたくさんの人が
歩いていたにもかかわらず
真っ先に彼女に手を差し伸べたのは
通りで物乞いをしていた
2人のホームレスだった。


Monday, October 23, 2006

お詫び

いや、ほんとに申し訳ない。
今までコメントくれた皆さん!
なんでか
コメントの管理とかゆうのが有効になってて、
どうやら僕が承認しないと
コメントが公開されないようになってたようで・・・
そんな好き勝手にコメントしてもらっていいのに笑

そんなこととは知らず、
ずぅっとコメントないなぁ~とか考えてました
いやすんません。

早速最近のにはコメント返しておきましたんで、
今後ともよろしくお願いします。
なんとか管理がなんちゃらとか
はずすようにしますが・・・
素人なもんで。

Saturday, October 21, 2006

Chicago②


シカゴの街でやはり目に付くのが
ミシガン湖に沿って並ぶ
高層建築の数々だろう。

もちろんその数ではニューヨークや香港といった都市には到底及ばない。
しかしバラエティーの豊かさでは
他の大都市にもひけをとらない。

19世紀末の火災、
20世紀に入ってからの大恐慌などを
逆手にとって、建築ラッシュが始まり、
70年代、80年代と
世界でも有数の超高層ビルを残し、
現在に至るまで
多くの建築家のキャンヴァスとなり、
世界中の人々を魅了してきた。

そんなシカゴの建築の中でも
僕のお気に入りがある。
それがJohn Hancock Centerである。
ダウンタウンの北側、
ちょっとお洒落なお店が集まる
通りの一角、
古い教会とWaterTowerを見下ろすように
一つの黒い塊がそびえている。

1969年にSOMの設計で完成したそのビルは
100階建て、アンテナを含めて457.2M
側面は台形のどっしりしたビルは
ミシガン湖から吹き付ける
強い風にもびくともしない。

話によると2月の末に
94階まで階段であがる
競争があるらしい。
ちなみに記録は10分弱。
福岡タワーはどうでしたかね?

北の隅っこにそびえる
そのちょっと不器用なビルが
大好きだ。
見上げると、
てっぺんのあたりを
雲がすごいはやさで
泳いでいて、
目が回りそうになる。

Thursday, October 19, 2006

Chicago①


車は真っ黒い鉄の塊の中を一筋の光になって
周囲の闇を二分する。
ミシガン湖に沿って弧を描いて
Garyの街を過ぎた頃、
向こうの空がパッと明るくなる。
やがてその光は空全体を包んで、
あたりが急に騒がしくなる。
いつのまにか真っ黒い鉄の塊は
ずっと後ろで空と一つになり、
周りには四角い箱が整然と並ぶ。
そしてその箱は輝きと高さを増して、
窓をふさぐ。


あたかも古い遊園地のように
頭の上を電車がかすめると、
ゴォーっという音が会話をかき消し、
錆びた鉄と鉄の擦れ合う鈍い音が残る。
ずっと昔からそこにある石造りの建物と
真新しいガラス張りのビルとが隣り合う。
それが自然とマッチするから不思議なものだ。
古いものと新しいもの。
世界中から人々が集まり、
様々な文化が交差する。
そしてそんな全部が混ざり合って、
独特の空気を作り出す。


そんな街


シカゴ


その響きにどことなく惹かれる。
まず最初に訪れたのはメキシコ。
通りはラテン音楽とヒスパニック系の人々で溢れ、
原色に包まれるとどことなく興奮を覚える。
古いレンガ造りの建物が青い空に映える。
太陽をいっぱい浴びたおばちゃんの
タコスと笑顔が忘れられない。


人間は道具を持って飛躍的に進歩した。
今では世界は案外小さいものだなと感じる。


中国これまでいくつかのチャイナタウンを訪れたが、
シカゴのそれは中でも一番小さかった。
さながら観光地になりきれてない横浜。
でもそんな寂れた場所がどことなくなつかしく、
心地良かった。
そしてふらと寄った店の茶
美味
謝々


中国と近いうちに人口の多さで競うことになるインド
そのパワーは凄まじい。
通りは人で溢れ、様々な言語が飛び交う。
色とりどりのサリーが並び、
スパイスの匂いが食欲をそそる。
独特の強い訛りで
その店の主人はテキパキと列をさばいてゆく。
アジアからの“よそ者”を見つけたときの
ギョロとした目が印象的だった。

Sunday, October 08, 2006

overdrive

そう、
今Judy and MaryのOverdriveを聴いているわけなんですが
昨日ちょこっと話の中で出てきたんですよね。
CD持ってくればよかったなぁと

そんだけ。

なんとなくwikipediaに
Judy and Maryって入れたら
ちゃんと出てくるんです。
さすがですね。

え?
なにがって
wikipediaが

でも名前の由来なんかに
ほぉっ
って。
新しい発見ですね。

ちょこっと元気もらいました。

今日はこんなで
mixiと同じようなこと
書いてみました。

Friday, October 06, 2006

かりふぉるにや

今年の9月初日、
カリフォルニア州議会において
温室効果ガス規制法が可決された。

さすがカリフォルニア
どうやら巷では
ハリウッドの俳優達が
ハイブリッドカーを乗り回しているらしい。

今回はとりあえずCO2に限ってのこと。
でもまあ世界の排出量の25%近くはアメリカが
占めているんだから
やっと・・・って気がしないでもない

実は最近国連のHPうろちょろして
京都議定書なるものの全文を
読んでみた。

京都議定書(Kyoto Protocol)

まあ故橋本元総理大臣も
言いだしっぺだけではあったが
見栄なりなんなりが
なんとか形になったじゃないですか

2005年の2月16日に発行されたこの議定書
6種類の温室効果ガスの
削減目標を各国ごとに設定して、
基準年を軸に
達成するってやつ。

でもまあ数字だけは立派に見えても
現実味があんましないし
強制力にも欠けているなあ
京都って名前がついてることにすら
恥じらいを感じてしまう。

実際にスペインなんかは
目標値なんて
全く気にしていない。
建設ラッシュに加えて
干ばつだったりとかって
要因もあるみたいだけど。

この議定書、
先進国に関してのみ削減目標が
設定されていて、
発展途上国に関しては
今後の開発や環境保護についての
努力義務があるだけで、
他に特に規制は見当たらない。

それもそうか。

それに先進国に関しても
目標値を自国内で必ずしも達成する必要はなくて、
締結国間でのトレードやったり、
途上国での技術提供なりで
不足分を補えるらしい。

さて当のアメリカに戻ってみると、
目標値は7%の削減。
未だに批准せず。
いろいろとごねているみたいだけど、
実際にアメリカが達成できるわけないんだから
できないものをわざわざ批准する必要もないのかなって
そんな気もする。

アメリカの一番大きな問題は
でっかい都市があっちこちに散らばっていること。
西と東に海岸線を持っていて、LAとかシアトル、サンフランシスコから
東はニューヨーク、フィラデルフィア等
内陸にも散在していて、シカゴ、アトランタ、ダラス、ヒューストンなどなど。
だから公共の交通機関なんて
発達するわけがない。
日本では10万kmくらいでおさらばする車たちも
アメリカでは30万kmくらいだってがんばっている。

中国やインドも似たようなかんじなのかな。

他の国は意外とそうでもない。
オーストラリアなんかは
西のパース以外の都市は
ほとんど東海岸に沿って存在している。
内陸のほとんどは砂漠で
みんな海のちかくにへばりついて生活しているわけ。

カナダもアメリカとの国境線近くに大きな町は集まっている。
だから線路と高速道路、
主要なのが一本ずつ東と西を
結んでいればなんとか事足りる。
北部は
あんまり人が住むのにあんまりいい土壌じゃない。
寒さも厳しいし。

単に統計とって
その数字だけでは
なかなか解決策は見えてこない。

最近の授業で
環境の「保護」
ってことがよくテーマになる。

保護っていうのは保存とは違う。
今あるものなのか
過去に失ったものなのか

そして何を未来に残していくのか

パンダ一頭に何億ってかけて、
その背景で
年間25000種以上が
この地球上から姿を消している。

人間が今の生活を諦めることができるなら
と考えながら
それができない自分