Tuesday, December 05, 2006

Things to Give Up


アメリカにおける移民の数は年々増加の一途を辿っているわけだが、
それに伴いアメリカ語も驚くほど変化している。

その変化はどこか、種の盛衰と近いものがあるような気がする。
口語としての単語の数は減少傾向にある。
その分、使われる頻度の多い単語の用途が広がっている。
図にすると、ちょうどピラミッドのような形で、
上位にある抽象的な単語が下位にあるより具体的な単語を飲み込んで、その裾を広げているのである。

例えばmanageという単語。
本来の意味はtake care 等に近い。
それが時代を経て、handle等の具体的な意味も包括し、
現在ではさらにcope, deal withといった意味も含む、
非常に便利な単語として存在している。
今はまだ死語となってはいなくとも、いづれは回りくどい表現は段々と
書き言葉としてしか存在しなくなるかもしれない。

このような変化は、確かに時代の流れにおいて必然であるのかもしれないが、
それを促進する要素として、移民のアメリカ語教育が大きな影響を持っていることは確かである。
こういった変化はアメリカ語に限ったもののみならず、
今後移民を受け入れる国にとっては共通の現象となるだろう。

日本語の変化はこれとはまた違う種類の変化を
遂げているようだ。日々若年層の間で生み出される単語。
流行語大賞とかなんとかってはしゃいでいるくらいだから、
言葉もある種のスタイルとして、
身にまとう衣服のような、お洒落の一環として存在しているような気もする。
ここアメリカで懐かしい日本語に出会った。
きれいな言語だと思った。

3 comments:

Anonymous said...

たまたま来てみたら、更新されたばっかりで驚きました。今話されている言葉も いつかは古文的な扱いをされるのかなぁ、とか…言葉も生き物?かなりご長寿だけど。不思議なものですね。

Anonymous said...

綺麗な日本語。学校の留学生が「日本の言語は美しいです」と言ってたのを思い出してしまいました。
私たちも忘れかけてるのに(笑)…………

ゆっきぃ said...

>匿名さん
たまたま来てくれてありがとうございます。もっと頻繁に更新すればいいんですが、なかなかうまくはいかないものです。古文的な扱いをされればいいんですが、口語って言うのは、廃れてなかなか歴史には残らないものですよね。それと個人的には、今話されているものが後に残すべきものなのか?って疑問もありますが。本当、言葉は不思議です。同じことも言い方1つ、単語1つ変えるだけで伝わり方も違ってくるし。僕もきれいな言葉を身につけよう、そう思いました。
>あっこ
そう、日本語の美しさって独特やと思うなぁ。例えば同じ単語でも、漢字、ひらがな、カタカナって3通りで書けるわけで、そのどれもが視覚的に異なった効果を持ってくるやん。これは他の言語にはなかなかみられないよね。そして、日本語の美しさって言うのは、単なる音とかだけではなくて、そこにある日本人らしさ、それが詫び寂につばがるんだろうけど、そういったものがより際立つよね。大事にしたいですな。