Friday, January 19, 2007

note


教育再生会議の第一次報告に関して、コメントを少し。
全体を通すと、
まずは七つの提言をひとつずつ。
①ゆとり教育を見直し、学力を向上する
具体的な基礎学力強化プログラムとして、習熟度別指導の拡充や地域の状況に留意した上での学校選択性の導入。まずひっかかるのが義務教育段階での習熟度別指導の拡充。高校受験を控えた学生達はともかく、その前段階で習熟度に大きなバラつきができることが問題。こうした教育の場における問題には常に教える側と教わる側に原因が考えられる。習熟度に関して言えば、まずは生徒の立場として、集中力というのが一番必要になってくるのではないだろうか。これが欠けると、肝心な要素をついつい見落としてしまう。集中力にムラができるのも、ADHDなど先天的、遺伝的なものでない限り、学校内外における生活の中に、気を散らす要因があるはずである。もしくは教える側の問題として、生徒の年齢、知識に応じて興味を引き出せないことが多いのかもしれない。加えて、習熟度別に指導する必要が生じるまで放っておくのもどうかと思う。先程も述べたように、生徒の集中力の欠陥に関しては社会的な要因が作用することが多く、それは様々な形でサインを出すはずである。義務教育期間は精神的にも身体的にも人生で最も成長する時期である。形式的に教える、教わるという関係だけでいいのか、それにはゆとり教育を見直すだけで足るのか、疑問がのこる所である。基礎教育に関しても、詰め込み、ゆとりといった「量」の問題でなく、「質」の問題がより大きいのである。
②学校を再生して、安心して、規律ある教室にする
出席停止制度を活用、警察と連携、反社会的行動を繰り返すこどもに毅然たる指導、といったことが挙げられているが、安心とは何か、規律とは何か、反社会的な行動とは何か、どれもが曖昧である。そして、曖昧がゆえにそのような原因はとりあえず排除しておけという。いじめを念頭においているのであろうが、いじめられる側のケアか、いじめる側のケアか、理想は常に両方を求めるのだろうが、後者の方が絶対的にケアの対象になるべきである。早い段階でいじめをキャッチするのは結構。その時に原因を隔離してもいたちごっこで終わってしまう。
③すべての子供に規範意識を教え、社会人としての基本を徹底する
「道徳の時間」の確保と充実、高校での奉仕活動、の必修化、大学の9月入学の普及促進を対策として挙げる。道徳の時間を確保・充実。これはまず道徳とは何か、規範とは何か、根本的なところから見直す必要がありそうである。現状の社会に合ったものだけではなく、これからどういった国家像を求めるのか、そして達成のためにどういった国民意識を持たせるのか、そして基本というからには、スタンダードが存在するわけであって、基準は何か。横並びの意識を維持するのか。それに加えて奉仕活動の必修化。何をどれだけこなしたか、量で測るのは簡単であるが・・・
④あらゆる手だてを総動員し、魅力的で、尊敬できる先生を育てる
社会の多様な分野から積極的、大量に教員採用、メリハリある給与体系で差をつける、不適格教員は教壇に立たせない。これは本当に矛盾を多く含んだ項目である。そもそも魅力的、尊敬の対象といった主観的な要素を、どう客観的に定義し、「育て」るのか。個性がうんぬんとぬかして、生活とかいう時間を設けたかと思えば、一方では理想の人物像を教師の側に押し付けて、画一化を図ろうとする。無理ならやめさせる。教える立場の人間にとっては、国家と学生の双方からの圧力によって身動きができない状況となる。そして国家は指針は示すが、責任は取らないという、なんともわがままな考えを通そうとしているのである。
⑤保護者や地域の信頼に真に応える学校にする
「教育水準保障期間」による外部評価・監査システムの導入、副校長・主幹等の新設、民間人校長など管理職に外部の人材を登用。管理職が外部の人間というのは義務教育段階においては恐ろしい。上で述べたように、結果的に画一化を図るならどうして外部の管理職が必要なのか。文科省から直接派遣した方がよっぽど正確である。また民間人の登用は、生徒にとって、教育の場という意識を薄れさせる。こうした空間におけるメリハリは、学校教育において最も重要な要素のひとつだと思う。
⑥教育委員会のあり方そのものを抜本的に問い直す
危機管理チームを設ける、教職員の人事権は市町村にできるだけ移譲、教委の基準や指針を国で定めて公表し、第三者機関の外部評価制度を導入。上の項目でも第三者との連携を含むが、これは体裁を整える目的以外のなんでもない。そして、この項目は最も危険な因子を含む。地域色を十分理解したうえで、それに応じた教育の在り方が重要な中、基準や指針は中央政府が決定するという。
⑦社会総がかりで子供の教育にあたる
「家庭の日」を利用しての多世代交流、地域リーダー(教育コーディネーター)の育成。これからの世代には、家庭や家族がどういったものなのか、どう教えていくつもりだろうか。安易にこれらの言葉を使って、子供たちを戸惑わせている気がする。地域における多世代交流がその助けになるのか。これまた学校といった存在を曖昧にする要因ともなりうる。

以上で早急に対策が必要なものとして、「五つの緊急対応」
「ゆとり教育」の見直し=早急
教育委員会制度の抜本改革=07年通常国会に提出
教員免許更新制導入=07年通常国会に提出
学校の責任体制の確立等=早急に国会に提出
反社会的行動をとる子供に対する毅然たる指導のための法令、通知等の見直し=06年度中

全体として、トップダウンの教育システムを強固なものにしようとするのだろうが、曖昧な「規範」や社会といった言葉を多用して、混乱を招くと共に、国民の質がさらに画一化されるのだろう。軍国主義かと見紛う様な政策もちらほら見られる。それに加えて、矛盾する地域との関連求める。繰り返すが、半端な連携は学校という教育の場をとにかく曖昧な存在にするのであり、学生の心理的な混乱を招くと共に、行動のメリハリに関しても欠如を招くのである。加えて、この階級的な教育システムが確立することによって、責任は上位へと来ない。問題は切り離すのみで、他にいくらでも補充が利く。まさに一方通行の恐ろしい国家体制が再建されようとしている。今後の行方が心配である。

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